2017.12.13 【甲州道中3日目】調布駅→八王子駅
京王乗り換えラビリンス
8:46、京王調布駅着。
人生で5本の指で足りるほどしか、京王線に乗ったことがないので、前回の帰り道も迷った。
今朝は念入りに乗り換え方法を調べたので、予定通りに来た。
本編に入る前にどーしょうもない愚痴になるが、小田急海老名方面から調布へ入ろうとすると、都内とは思えないほど面倒なルートを通らされる。
新百合ヶ丘駅→京王永山駅→調布駅 という、スイッチバックルートで行くのが最短のようなのだ。
(どんなルートか気になった人は、どうぞgooglemapでこの辺を見てみてください。)
登戸駅→稲田堤駅→(歩き)京王稲田堤駅→調布駅 という、小田急・JR・京王の三つ巴ルートも選択肢になるが、余分に料金がかかる上、今回のタイミングでは最終的に調布駅に到着する電車は同じになるので止めた。
元は鉄好きなので楽しみたいところだったが、今回はラッシュのタイミングであったので、ドッと疲れた。
それでも、この京王線ラビリンスをスマートにクリアできたのは、良かったけれども。
気を取り直して、3日目をスタートさせる。
調布スタート
まだ開店前のお店が多い駅前だったが、駅までは仕事や学校へ向かう人が行き交っていた。
スタート地点がだるい、この感じ、何度目だろう。
望んで歩こうとしている人が、いつもエンジンがかかりきらないまま見切り発車して、徐々に調子が上がってくるのを慣例としている。
だからもうわかってる。嫌がらず、恐れず、面倒臭がらず、進めばいい!
前回歩き止めた西友前。
まだオープン前。別に買い物をしたいわけではないけれど、やっぱり主婦かな、地元とここの西友の値段設定はどうなのだろうと頭の中を過った。
やがて小島一里塚跡の碑が見えてきた。塚はもう跡形もないが、この辺りにあったと碑で認知されているというのは、安心させてくれる。
しばらく行き、下石原の辺りにやってくると『火の見下』というバス停が見えてきた。
ん?!火の見?? ……あぁ、あれね。なるほどね。
半鐘が懸けられた火の見櫓が、バス停の近くにあった。
正面に出ると、下石原公民館の上に、火の見櫓が建てられていた。
街道歩きで地方を歩いていると、こうやって火の見櫓って、結構見かけるんだよね。
今も現役で半鐘をカンカン鳴らすのかは不明。
櫓の下の辺りに、オレンジ色の防災無線があるようなので、必要なときはこちらが鳴るのだろう。
門前に石造物が並ぶ源正禅寺が見えてきた。
門前を見ると、庚申塔が2基。
上石原 下石原
さらに歩いていき、中央自動車道の高架が見えてきた。
その手前に、近藤勇の像がある西光寺。
そうだ、高校~大学の頃、新選組好きだった私は、新選組イラストのHPを立ち上げ(小声)、同じ活動している女友達とこの辺をぐるぐる歩いていた。
そうそう、この辺りも近藤勇が産まれた地として、歩いた。
当時は、近藤勇の像はなかったはずだ。いや、見たか。うーん……
近藤勇は、35歳で生涯を閉じた。
高校生の頃はわからなかったけれど、35歳って、やっぱり若いね。今の私とそんなかわらない。
でも今は、境内にあるこんなものにも興味を持つのである。↓
飛田給駅の北側を通過。
参考にしている地図によると、この辺りのY字路を右に入っていくのだが、江戸時代初期は左に行くという。
考えるのも面倒なので、地図が推進しているように見える右の道を行く。
初期の甲州道中は、並走しているので、距離は大きく違わない。
Y字路のところには、飛田給薬師堂。境内には庚申塔も数基あり。
府中市に入る
Y字路の分岐から間もなく、府中市の標識が現れる。
またひとつ自治体を抜けた。
嘉永年間の秋葉山常夜灯や、観音院の庚申塔などを見つつ歩いていく。
これまでの道中、庚申塔は意外とよく残されているけれども、どうも状態が良いとは言えない。
流れゆく時代を見つめていた石造物も、その間に色々あったのだろう。そういうことだ。
調布から歩いて来て、ベッドタウンらしい光景が続いている。
道の正面、ちらほらと山が見え隠れし、都内を抜けられる気配を初めて感じたのもこの頃だ。
西武多摩川線の踏切を越えて、常久八幡神社の参道を右手に見ながら黙々と進むと、東府中駅近くにやってきた。
踏切直前がY字路で、少々混乱させられる踏切なので、よく地図を確認する。。
普通は間違えないような通りなのだが、応用が苦手な私はY字路に勝手に騙されて明後日の方角に行くことがあるので、気を付ける。
府中宿に関連する碑がちらほら現れてくる頃。
府中駅方面に向かう道のゴチャっとした雑多な光景は、旧宿場であった頃の延長線か。
府中の駅前を通ると、左手に大國魂神社の広大な境内が見えてくる。
多くの人が行き交う交差点。信号の真ん中に一瞬立ち止まり、正面の鳥居を撮影した。
これから年末だし、たくさん人が来るのだろう。少し前だったら七五三か。
府中はこんな神社があるところだとは、知らなかったなあ。
やがて、交差点の角にある高札場が見えてくる。
この交差点が、甲州道中のみならず、川越街道や相州街道の要衝であった。
この建物は江戸時代後期~末期のものが現存って……
ベッドタウン化でクラッシャーな歴史を辿ってきた地と思ていたのだが、なぜ残ったんだろう。素朴な疑問だ。
さらに歩いていく。
弁慶坂という坂に差し掛かり、下りきって上る道の姿が見えた。下りきったところに川は見られないが、地中化でもされているのか。
やがて国道20号線に合流。合流した先で、常夜灯が建っていた。
いいよねぇこういう、現代のロードサイドにぽつねんと残る歴史的遺物の姿って。
昔は情緒が無いとか、寂しそうな姿に捉えていたけれども、現代を生きている人間が、情緒を求める方がどうかしている。
何が起きても、我関せず。移り変わる時代を見つめ続けてるスゴイ方(常夜灯)。
現代に活きる歴史遺物の姿が、今は大好きだ。
さて、お腹が空いたので、ちょっと休憩。
道沿いのファミマでおかずを買って、持ってきたおにぎりを近くの公園でむしゃむしゃした。
再び歩き出す。
国道20号線に建てられた「日本橋より33km」の標柱を見て歩く。意外と歩いてきた気がするけれども、まだ33km。
昔は、1日に33kmぐらい歩けたものだけれども。最近は寝坊やらなんやら、理由を付けてスタートが遅くなっているからいけないのかもしれない。
この辺りは交通量の多い国道20号線を歩くので、地図に記載されている、歩いている側とは反対の歩道にある史跡は割愛しがちだ。
いつの間にか、野暮天の語源になったという谷保天満宮の前にやってきた。
街道の左手に巨木と鳥居、さっき府中駅前にあった大國魂神社と少しかぶる。
こちらの方が鎮守の森だけどね。
先ほどから国道・県道歩きが続くので、ペースを上げてサクサク歩いている。
少々飽きもきていたが、所々に現存する常夜灯に励まされ、日野を目指した。
日野の渡し場を見て、多摩川を渡る
日野橋という信号にさしかかり、交通量の多い道路から逸れて現存する旧道に入るため、道路を横断する。
わずかな距離、地図上では少し遠回りをするのだが、この旧道を歩けるというのは、なかなか嬉しい。
旧道情緒をかみしめながら歩き、国道を横断して『日野の渡し場跡』を見に行く。
現在は下水処理場になっている場所に、その渡し場はあったようだ。
現在は碑とモニュメントが建てられていた。
渡場の碑がある場所から、川沿いの道行って橋に上がれるかどうかわからなかったので、来た道を少し戻り、モノレールも走る立日橋を渡った。
新選組巡りをしていた時分、立川からこのモノレールに乗って、この辺をうろうろしたものだった。
こんなに立派だったんだね。友達と新選組トークで盛り上がっていて、乗り物なんてどうでもよくて、景色もよく見ていなかった気がする。
川の反対側にも、日野の渡し場があった案内があったので、それに立ち寄って行った。
新選組のふるさとへようこそ、というような看板を見た。あぁ懐かしい。
別に今は新選組に興味がなくなったというわけではないけれども、色々と趣味が増えて忙しい。
また、以前よりも、歴史はフラットに見なければいけないというスタンスになっている。
特定の人物に極端に思い入れるのは危険な思想の始まりというような。
なんて、ちょっと大袈裟なんだけどね。
決して、歴史上の人物を尊敬する人を否定しているわけではないんだ。自身に偏重した思想に走りそうな素質があるので、冷静にと、自粛しているというわけ。
さて、橋を渡り、しばらく歩くと、旧甲州道中は東の地蔵が左手に見え、丁字路になる。
ここを右折したところで、日野宿に入るのだ。
現代の道ではあるが、古い建物が残っていて、その建物の前には往時の写真を展示されていた。
明治26年の大火前に撮影されたという有川家の写真を見て、現在の建物を見ると、面影が残されていた。
新選組関連で巡っているときは、このような古い建物には気づいていなかったように思う。
もっとも、古民家や古建築を見る、という視点が自身に生まれたのは、その後の旅や出会いがあってのこと。
当時は、手持ちの視点が、まだまだ少なかったのだ。
そして、日野宿本陣にやってきた。
新選組巡りをしていたときも、何度だって入りたかったけれども、当時は蕎麦屋だったため、お客さん以外入れなかったのだ。
それがいつの間にか、日野市所有の建物になり、一般公開されていた。
友達と、「いつか御蕎麦を食べに来ようね」なんてよく言っていたけれど、ついにかなわなかった。
有料だが、自由に観覧できるようになったので、それはそれでいいのだが。
中は撮影禁止ということなので、静かに観覧していた。
大好きだった新選組……決して過去形ではないけれども、当時の自分に見せてやりたかった。
というか、普通に本陣資料として興味深いものも多く。
ちょっと新選組のイケメン風のアニメイラストが展示されているのには圧倒されてしまった。
(まぁ、自信でイラストのWEBサイトを開いていた人が圧倒されたとか、そんなこと言っちゃって、すっかりカタギ気取りですがね。)
職員の人が簡単に案内してくれて、会話する中で「当時好きで……」というフレーズを、何度も使ってしまった。
その人からは、言いにくそうに「今は好きじゃないんですか」と苦笑される。
当然そうツッコまれるに決まってるのに「当時好きで……」を止められない自分がおかしかった。
暖かい本陣で少し休めたので、もうひと頑張り、再び街道歩きに復帰する。
帰り際に、先ほどの職員の人に「八王子まで歩いてどれくらいでしょうか」なんて、答えに窮することを聞いてしまった。
街道歩きの極意、街道を歩いていない人所要時間をを尋ねるべからず!困惑させるだけ。自分で地図を見なさいということ。
JR日野駅をくぐり、線路に沿うように歩き出す。
これがなかなかの坂で、結構続いていた。途中庚申塔なども見つつ。
『日野大坂上』という信号まで来たところで、坂は終了。
日野自動車の広大な工場を右手に見ながら、八王子方面に向かって歩く。
冬の西日が、顔を覗き込むように差し込んできて目を開けて歩くのが辛い。
日野一里塚跡を見逃してしまったが、これは仕方がない。
JR八高線の線路を越えた橋で越えるとき、見慣れた山容の……大山が見えた。
地元神奈川県の山が見えると、勝手に励まされた気分に。
(これから、小仏峠を越えて神奈川県に入っていくわけなのだけどね。)
今日は平日なので、帰宅ラッシュの時間は避けたかったので、少し早歩きで八王子を目指した。
途中、日枝神社に寄ろうと思ったら、派手に石段を敷き替え中だった。
たまにはこういうこともね。
八王子バイパスの高架をくぐると、わずかな距離だたが旧道に入る。
この旧道に入る感じ、ほんといいね……。
この旧道には、途中、石造物もあり。車庫みたいな屋根が付いていて面白い。
再び大通りに合流すると、歩道には人出もあって、八王子の中心地に近づいてきていることに気付く。
合流してすぐ、重厚な造りの大和田橋を渡る。
冬の低い日差しに輝かされる浅川の眺めは美しかった。
甲州道中は、日本橋を出発してからここへ来るまで、都市の雰囲気はなくなったけれど、田舎というのどかな景色はあまりなかった。
美しい川があって、山が見えて。ここへ来てようやく、甲州道中も味わいがでてきた気がする。
浅川を渡ったところで、少し駆け足気味に八王子駅を目指した。
駅前からの道と、甲州道中が合流している交差点でこの日は終了。
無事に到着できてよかった。
八王子駅は、流石に大きな駅だった。
以前、絹の道歩きをスタートしたとき、始点が八王子だったので来た事があったが、もうどんな駅だったか忘れていた。
駅ビルのお店で一服してから電車に乗った。
ななななんと、これから乗ろうとしていえるJR横浜線は、八王子始発なのだ!
確実に座れる電車。
知っていたけれど、まともに自分が利用するのは初めて。
恐らく、このJR横浜線八王子始発は、甲州道中歩きで、下諏訪に行く日まで長いお付き合いになる路線なのだ。
座席が確約されているというのは、ありがたい。
あとは、町田乗り換えのところ、寝過ごすことがないように、だな。
今回もありがとうございました。
次は八王子~小仏峠の予定。
(2018.1.6 post)